【著者インタビュー】柴崎友香 『待ち遠しい』/どこか嚙み合わない、3人の女性たちの「近所づきあい」 | 小説丸
「やはり新聞小説は幅広い読者に読まれるものですし、特に最近は『人のことって聞いてみないとわからないなあ』とか、『自分には当たり前のことでも環境が違うと全然伝わらないんだ』とか、微妙なニュアンスほど言葉にする必要を個人的にも感じることが多くて。
例えば家族、、という単語を使って誰かと話していても、お互いイメージする家族の定義が違うままだったり、就職とか仕事という言葉も世代間で結構認識にギャップがあると思うんですね。それでも人間はその曖昧な言葉でわかり合うしかなく、同じことを喋っているつもりでも生じてしまうズレをきちんと言葉にして伝える試みを、今回は小説の形でやってみたかったんです」
ただし春子自身は将来自分が飴ちゃんを配ったりはできない気がしていて、趣味の〈消しゴムはんこ〉や刺繍に勤しむ1人の時間を大事にしたいタイプ。就職氷河期世代の彼女がどんな職種でもこつこつ働ければいいと思う気持ちもわかるし、そんな彼女が物理的な距離や家の作りに心理状態も影響されるところが、私は面白いなあと思うんです
そんな中、春子は突然の激痛に襲われ、尿管結石で入院を強いられる。この時、周囲の助けや救急車を呼ぶことすらためらう彼女の頑かたくなさは、果たして性格なのか、時代なのか?
「最近は迷惑をかけちゃいけないという思い込みや刷り込みが年々強くなっている気がします。でもどんな時に救急車を呼んでよく、どこからが迷惑行為なのかも結構曖昧だと思う。
例えば私は昔、ゴスロリ系の服が着たかったのに人目を気にして諦めたことがあるのですが、『あの時、人の言う通りにしてよかったね』なんて褒めてくれる人なんて誰もいない(笑い)。人の忠告もあくまで恣意的な言葉で、考えすぎて何もできないよりは『迷惑』な方がずっといいと、ゴスロリを着られない年齢になって思うんです(笑い)」
〈それなりに生活できて、自分の好きなことが少しできたらそれでいい〉と言う春子にも、〈一人で過ごさないといけない時間のために、こうして賑やかにしてたくさん力をもらうの〉と言うゆかりにも各々の生き方があり、誰かと過ごした時間や言葉は自分1人の時間を経由してこそ、糧になった。
「何かを受け止めるまでに時間差があるんですよね。友達の言葉があとになって理解できたり、誰かの悪意に家に帰ってムカついたり。でも怒れるだけマシともいえて、春子のように上司の暴言をその場の空気を優先して聞き流していると自分が何を感じているかもわからなくなりかねない。負の感情も含めて何が噛み合わないのかをきちんと言葉にし合うのが、人と生きるということだと私は思います」
その場合も100%わかり合える保証などどこにもないが、〈違うってことが、わかってなかったのね〉と言って彼女たちが言葉を尽くす時、「違う」は「同じ」より、豊かですらあった。